人の話を聞いていないことは情報を捨てているのと同じ
学習塾の頃の話です。生徒の勉強でとても大事だと思ったことですが、大人にも共通する教訓があります。
とある年度の、同じ学校・同じ学年・同じ科目で、同じ学校の先生に教わっている生徒3人との会話です。
塾で理科の授業予定がある生徒が2人いました。まず塾に来た時に、私は学校の進捗状況をヒアリングします。私は恐らく「中和と化学電池」のあたりだろうと予想していました。
「今日の理科の授業、何をやった?」
理科の授業予定は2人でしたが、この日は3人に聞いてみました。
生徒その①、通知表は5段階の1
「実験。ビーカーの中の白いやつをつついて遊んでた」
…おそらく硫酸と水酸化バリウムの中和実験で、硫酸バリウムという白い沈殿ができたものをつついて遊んでいたのでしょう。
私「何か混ぜなかった?」
生徒「うーん、混ぜたかも?」
…まったく( ̄∩ ̄#
※ちなみに私も古い記憶なので、物質名など怪しいので「多分これだと思う」のをGoogle先生に聞いてから書いています。
生徒その②、通知表は5段階の2~3
「実験。レモンに金属をぶっ刺してた」
…何の実験かは分かってないんだな。遊んでないだけマシか。
私「それは化学電池の実験ね。中和はやらなかった?」
生徒「あ~やったかも。でも何を中和してるのか分からなかった」
…あらら( ̄ー ̄;
※酸やアルカリの強い液体(=電気を通す)に、違う種類の金属を入れると電気を取り出せます。酸性の液体の代わりにレモンを使っている実験です。
生徒その③、通知表は5段階の4
「中和と化学電池の実験。でもどれが電池か分からなかった」
…まあまあだな。でも理解しているかと言えば、理解していないな。
私「レモンに違う種類の金属刺さなかった?」
生徒「刺した」
私「電気流れなかった?」
生徒「流れた」
私「電気が流れた、ってことはレモンが電池だよ」
生徒「そういうことか」
…えー分かってなかったのか(TωT)
生徒①と生徒③は同じクラスとのこと。同時に授業を受けています。それでこの差があるんです。本人の学力以前の問題が非常に大きいんです。
ここが重要なポイントです。勉強してるかどうか、勉強の仕方がどうか、元の実力がどうか、そんなことよりもずーーーっと手前に転がっている重要な問題なんです。
話を聞いてない
例えば、同じIQ・同じ学力の子供が2人いたとして想像してください。片方の子はちゃんと学校の授業を聞いて内容を理解していたとします。もう片方の子はほとんど学校の授業を聞いていなくて理解していなかったとしたら。
最初は大した差じゃないと感じるかもしれません。おさらいしたらすぐに追い付くかも知れません。ですが、これを何年も繰り返していたら、とても大きな差になりますね。
学校の中の学力の話だけなら、まだまだ取り戻すチャンスもありますし、進学を考えないのであれば、現状の学力で困っていなければ、それで何も問題ないと思います。
ですが、これを大人に置き換えて考えてみてください。
「ここは危険なので立ち入らないでください」というアナウンスを無視する人。
「○○と××を同時に摂取すると危険です」という注意書きを無視する人。
「○時に××で待ち合わせね」と約束して忘れる人、しかもメモしない人。
忘れ物する人、使い方を教えても間違える人、連絡を回しても聞いてない人…。
こんな人、たくさんいますね。
みんな、人の話を聞かない人。
能力の問題じゃなく、そもそも聞いていないのだから、できるわけがないんです。どうして聞いていないのか、今のところ私には理解不能です。ただただ、勿体ないですよねぇ?
だって聞いていたら済む話ですよ?メモしたらいいだけの話ですよ?お金出して教えて貰う必要ないんですよ?ネットで検索する必要ないんですよ?命の危険なんて感じなくていいんですよ?
聞きそびれたら質問すればいいだけなのに、それすらしない人も多いですね。そもそも聞いていないから、自分が聞きそびれた自覚がないこともあります。
人の話を聞いていないのは、情報を捨てているのと同じです。そんなところまで格差を拡大しなくてもいいですよね?
この記事は6/28付アメーバブログにて「同じ授業のはずなんだけど」として投稿したものを加筆・修正しています。