生まれた時からロスタイム

少数派の人生や、ちょっと人と違うかもしれない考え方などを紹介していきます。

才能を伸ばすために嫉妬を諦めるか、嫉妬を回避するために才能を手放すか?

自分が子供の頃の記憶を辿ると、私と同じくらい勉強ができる子供が何人かいました。その子たちは自分が教えていた塾生達とは頭の回転の速さやキレみたいなのは雲泥の差でした。

当時の同級生の中でも「普通の子」は、そんな「できる子」と比較されちゃたまらないでしょうね。親御さんも何を考えていたのかと思います。「できる子」はそのままでも優秀なのだから、それを応援してあげればいいのに。「深雪ちゃんに勝たせよう」なんて、単なる無駄な努力でしかありません。

 

それにしてもですよ。人より目立つからと言って、何か人が羨むところがあるからと言って、理不尽な言いがかりをつけられる覚えはないんですよ。しょうがないことなのかも知れませんが。

そして、普通の人と同じように小さくなっていたつもりだったのに、ちっとも小さくなれていなくて、やはりどこかで目立ってはみ出して、また叩かれて、居心地悪くて。ずっとうんざりしていました。

 

「どうやったら言いがかりを防げるの?」と旦那に聞いてみましたが「無理」と言われました。

 

だったら才能なんて要らねえ!

 

ふとそんな気持ちになります。

 

「誇りに思え」とか「受け入れろ」とか、そんな言葉はすべて

 

諦めて我慢しろ

 

と言われているようにしか聞こえません。

 

結局のところ「才能を活かすのか、嫉妬を回避するのか」これは二者択一で、両立は無理なんだと思います。

ある程度社会的に成功している人は、周囲の嫉妬をそれなりに無視することができた人達と考えています。世の中的にも誹謗中傷はスルーすることが推奨されているので、おそらく王道な対応策だと思います。

 

私は誹謗中傷やら嫉妬からくる言いがかりやらで傷つくことはないのですが、猛烈に頭にくるタイプです。本心で言うなら、そんな発言をする人達の論理を全部けっちょんけっちょんに切り刻んでやりたい(笑)

今日は私のように「スルーできない人」に向けて、私の話をしてみます。何か皆さんの心の中に思い当たることが見つかったり、身近な人のことを考えるにあたって参考になれば、と思います。

 

多分、私の中の大きな原因は両親です。特に母。母は常に私に理不尽な言いがかりをつけ続けていました。ざっくり言うと「何かにつけて私の行動の揚げ足を取り、ああいえばこう言う」が果てしなく続きます。どんなに論理的に言い返しても、めちゃくちゃな屁理屈で「お前が悪い」という結論に持ち込みます。

たまに嘘が入るので、ギョッとします。私が言っていないことまで言い出して「お前が悪い」と言い続けるわけです。無関係な過去の出来事も引っ張り出しますね。明らかに私のメンタルが病んだ原因だと思います。

 

大学で心理学を学び始めた時、ありとあらゆる「ダメな子育ての例」に自分の母がほとんど当てはまっていた時「ダメだ、こりゃ」と、冷めた笑いと失望が湧き起こりました。

 

そりゃあ私がおかしくなるのは当たり前だよねー!

 

妬みからくる言いがかりや、非生産的な誹謗中傷は、論理的ではありません。まるで私の母の言動と同じです。つまり、私にとって「スルーすべき発言」は母を連想させるのです。だから異常に頭にくるわけです。

 

せっかくの人が羨む才能があっても、妬みをスルーして才能を伸ばせなければ成功しません。何かしらのトラブルになれば無駄な争いに巻き込まれるだけですし、何よりも自分で自分の首を絞める結果になります。

 

妬まれても、叩かれても、あなたは悪くない。

スルーすることは、負けることじゃない。

馬鹿と関わると、馬鹿が伝染するよ。

正しい反論なのかただの言いがかりなのか迷ったら、誰かに聞いてみよう。

スルーした方がいいか言い返した方がいいか迷ったら、誰かに聞いてみよう。

この言い方だと揉めるかな?と思ったら、誰かに聞いてみよう。

 

この記事は6/4付アメーバブログへ「だったら要らねえ!」として投稿したものを加筆・修正しています。