やりたいことをやる時の「謎の罪悪感」について
先日横浜に行きました。B'zにまつわる場所を見に行ったり、普通の観光をしたりした程度です。交通費はかかりましたが、日帰りです。いわゆる弾丸ツアー…を超えて「ピンポンダッシュツアー」ぐらいの、現場見て写真撮っておしまいな1日でした。
ちゃんと旦那のOKも取ったし、贅沢もしていないし、仕事に支障の出ない日程にしたし、お給料も入って来たので家計が赤字になることもありません。
それでも、なんだかものすごく罪悪感に襲われます。もう少し正確に言うと、悪いことをしていると責め立てられる感覚になります。
お前ばっかり遊んで。
お前ばっかりお金使って。
お前はわがままだ。
お前が悪い。
何かやりたいことをやろうとすると、いつもそうやって責め立てられていました。特に母に。父も似たようなものです。やりたいことをしようとすると、必ずフラッシュバックしてきます。
先日ライブのチケットも当選したので、ライブに行く予定もあります。チケット代の入金期日が重なってしまったので、少しお小遣いが厳しいことにはなりますが、赤字にはなりません。
それでも謎の罪悪感に駆られます。今後の不安みたいなものがあるとしても、私の計算は「問題無し」なのに、あとで何かあったら責められることを想像してしまい、強い不安を感じてしまいます。
何かやりたいことができた時、いつも心のどこかで「私は悪くないよね?」と自問自答が起きます。本来旦那に許可取る必要のないことすら、事前に許可を取って「私は悪くない」と保障されないと気持ち悪かったりします。常に「あとで怒られるのが嫌だ」と先回りしているような状態です。
旦那からは「俺はお前の親じゃない」とよく言われます。出かけるなら事前に教えて欲しいとは言われますが、反対するわけではないらしいです。「やめておいた方がいいんじゃないか?」と反対意見を言われることはありますが、本人的には止めているわけではないそうです。
むむむ…。私には思いっきり反対しているようにしか聞こえません。反対されても断固拒否の上、絶対実行する!くらいの勢いで反論してしまうので「俺は話を聞いてるだけだ。喧嘩をするつもりはない!」と言い返されます。
…だったら最初に「やめておけ」なんて言わなければいいじゃないか、と言いたいんですけどねぇ…。状況を聞いてから判断する時は態度保留でしょう。
父はもうこの世にいないし、母とは離れて暮らしているし、旦那は親じゃないし、私が好きなことをするにあたって文句を言う人などいないはずなのに。
長く、深く、心に刻まれた「お前が悪い」という「押し付けられた罪悪感」と、未だに戦う日々が続いています。
何も悪くない。私は悪くない。
贅沢もしていないし、無駄遣いもしていないし、迷惑もかけていない。
なんでこんな目に見えない敵と戦わないといけないんだろう。
今、この罪悪感に負けて小さくなって過ごしていたら、この先もずっと何も変わらないと思います。時にどうやって戦えばいいのか分からなくなりますが、それでも戦います。
やりたいことをするためには、この罪悪感を振り払う勇気さえあればいい。
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