若く見える人と老けて見える人の違いって?
先日職場で実年齢を公表したら絶叫されました(笑)39歳ですが20代後半に見えていたらしいです。
10人そこそこの同僚と一緒に研修を受けていて、40代前半の研修担当の社員もいましたが「えええええええーーーーーーーー??????」と、どよめきが起きました。
社交辞令でも嬉しい!(笑)
そうです。おばさんになると、たとえ社交辞令でも若く見えたら嬉しいです。
もともと私は子供の頃から大人っぽく見られていて、高校生の時も社会人と間違われ、20代の頃も30代に見られていました。20代後半から30代半ばくらいでようやく「老けて見える」意見と「若く見える」意見が混在するようになりました。
それが、30代後半になったここ2~3年で圧倒的に「若く見える」と言われることが増えました。20代後半から30代前半に見られることが多いです。
ここ2~3年で急に顔が若返ったわけでもなく、急に痩せたり太ったりしたわけではありません。髪型もほぼ同じスタイルです。でも見た目の変化について、他人の意見が急に変わる心当たりが1つあります。
それは「服の選び方を変えた」ということ。
以前は「自分が手に取って気に入ったものが、試着してサイズ的に問題がなければ買う」という状態でした。自分の好みかどうかが問題で、自分が着たいかどうかしかモノサシがありませんでした。
もしも試着した服が似合わなかった場合は「似合わない私が悪い」と感じ「着たい服が着られない!なんでダメなの?!」と怒り狂っていました。
つまり「たとえ似合わない服で合っても自分が着たい服を着られればそれでいい」と思っていました。だから、似合わない服をたくさん着ている。
しかも、おかしな洗脳をされていますから「どうせ自分はこんな服しか着られない」という刷り込みやフィルターを通して「この服が着たい」と思っています。
つまり「偽物の願望」によってチョイスしているので、本当の本当に本心から望んでいない服を「これが欲しい」と思っています。だから、しぶしぶ似合わない服を着ているのと同じ。
本当はこんな服じゃなくてあんな服が着たい。
この服がいいな、と思ったけど何か変だ。
着てみたけど、似合わない。
似合わない服着るの、やめた!
本当に着たい服を着る!
似合ってる服の方がいい!
そんなことが2~3年前にありました。たいていの方は10代~20代でそんな経験をするのかも知れませんが、私はおかしな発想に苛まれていましたから、2回目の成人式が近づいてきた今頃になって目が覚めました(笑)
今まで「私なんてこの程度」と手に取っていたもっさこい服を買うのを止めました。
「本当はこんな服が着たかった」と思っていた若い子向けの服も、とりあえず試着してみました。似合えば買ってしまうし、似合わなければ止めるだけ。
試着してみて「年相応でない」と感じる服は、どんなに気に入っても買わないことにしました。母親が女子大生の娘の服を着ているみたいな若作りは痛々しい。
同じデザインでも色違いを試着してみて、顔色が良く見えたり全体の雰囲気が良い方を買うようにしました。
同じデザイン・同じ色の服でも、だぶつきが気になればLサイズとMサイズ両方着てみてジャストサイズの方を買うようにしました。
すべて「似合うか似合わないか」を基準に選ぶようにしました。
そしたら今まで多く着ていた「カジュアルな服」は、ほとんど似合わなかったです。
どちらかと言えば「派手すぎず、地味すぎず、上品な服」の方が似合うと感じました。
巡り巡って「本当に私が着たかった服」と一致していました。
衣服を「たかが布きれ」と思ってはいけません。服選びは「その人が、他人からどう見られたいのか?(=自己像)」を色濃く投影しています。意図的に「見られたい姿」を操作することもできるし、他人に対して「私はこんな人ですよ」とアピールする手段でもあります。
つまり「私はこんな人ですよー!」と信号を送っているのと同じです。派手な服を着ている人は「私は派手な人です!派手な人として扱ってね!」と言っているのです。
私は自分を「粗末な人」として扱っていたから「粗末な服」ばかり着ていたのでしょう。「私は粗末な人じゃない!」と気が付いたから「粗末な服は似合わない」と気が付いたのです。
そんな訳で。
似合う服を着るようになると、劇的に「その人の良さが引き立つ」ようになるようです。私は若く見られて嬉しい限りです。そして、何を以て「似合う」と定義するか?という問いの中に「自分は何者か?」という問いが含まれています。
マイナスを消すことに躍起になるのは限界があります。「もうオバサンだから」という大前提を一度捨てましょう。かと言って若作りするのではなく「似合う」ことを意識して、衣類・持ち物・靴・髪型・お化粧を見直してみましょう。
多分エステに通うよりは安上がりだと思う!(笑)