生まれた時からロスタイム

少数派の人生や、ちょっと人と違うかもしれない考え方などを紹介していきます。

仕事が決まりました。2016年に向けての計画など。

1ヶ月以上の無職生活にもようやく終止符が打たれます。やっと仕事が決まりました。詳細については、守秘義務等にも引っかかると思いますので伏せさせて頂きます。

とりあえず、初挑戦のジャンルです。事務職になってから初めて、制服ナシの私服勤務の会社で働くことになったので、何を着ようか?が一番の悩みです(そこかよ!)スーツじゃなくてもOKな、いわゆるオフィスカジュアルというやつです。ジーンズもOKなので結構ラフな方と思われますが、様子を見ながらコーディネートしたいと思います。

 

今回3年ぶりの無職になりましたが、今更ながら失業保険のありがたみを感じています。私の場合たまたま「安い時給の条件の悪いパートに就くよりも、保険を受給した方が身入りが良い」という状態でした。

こんな珍事もあるんだな…と気づいて以来、時給が安すぎたり交通の便が悪い等、条件の悪い仕事に飛びつくこともなく、安心して仕事探しをすることができました。おかげさまで時給の条件も希望に近く、交通の便の良い大手企業のお仕事が見つかりました。

2015年の下半期、覚えることが盛りだくさんになりそうですが、コツコツ&ぼちぼちの精神で乗り切りたいと思います。すべては2016年の準備です。

 

我々夫婦はとある地方都市に住んでいますが、他所の都市への引っ越しを検討しています。東京になる可能性が一番高いです。

元々の予定では、5月末まで働いていた会社で12月末まで働くつもりでいました。そして2016年になったら引っ越すつもりだったのですが、私の予定が変わったわけです。

2016年“中”に引っ越しするつもりです。少し予定に幅を持たせて考えています。まあ、いろいろありますので。我が家はカードローンがやっとなくなったような状態なので、貯金がありません。まずは引っ越し費用を貯金したいです。

 

引っ越しを検討している理由は、私の病気治療の為です。専門的な治療が受けられる病院が見つかっていません。

アトピーや喘息は、日常生活に影響がないレベルで維持しています。手の汗疱くらいかな。化学物質過敏症を疑われるような症状は劇的に改善したので、喘息は暖かい土地に住んでいる限り大丈夫そうです。

 

私には解離性障害があります。人格の入れ替わりはなさそうですが、記憶障害があります。旦那以外の人と接している時は症状が出ないようで、職場や友人関係で何か「言った、言わない」のトラブルはないので助かっています。だからここまで仕事をしてこれたのですが、家庭内では「私の知らない私の話」が沢山あり、だいぶ辟易しています。

ネットで調べた範囲ですが、今住んでいる地方で解離性障害の治療を専門に行っている先生は見つかりませんでした。他所の土地でも、先生が見つかれば通院しようと思っています。ちらほらと「東京には専門のクリニックがあるらしい」と聞くので、可能であれば通院したいです。

 

そもそも私は24歳でパニック障害を発症し、精神科に通院し始めた訳ですが、パニック障害の症状は3年位でほぼ落ち着いていました。残り約3年は記憶障害の症状で通院していました。

ちなみに、ロールシャッハテストを2回受けていますが、幻聴・幻覚・妄想ではない、との診断が出ています。脳波測定とMRI診断も各1回受けていますが、異常ありませんでした。

当時のカウンセラーからは「パニック障害の程度が、神経症領域でなく人格障害領域なので根本的な治療は困難」と言われていました。何のこっちゃと思うかも知れませんが、結局のところ「生育環境から来る部分が大きすぎて根深い」という意味と受け取っています。

 

旦那相手にしか「言った、言わない」のトラブルがないので、私がおかしいのか旦那がおかしいのか?と毎日混乱していました。結局のところ「私の記憶の中で旦那が言っていたこと(旦那は実際には言ってない)」の内容が、すべて私の両親がいつも私に言っていたことだったので、どうやら私のフラッシュバックが旦那に投影されているんだろうという推測です。

実家で暮らしていた30歳の頃、あまりに記憶障害がどうにもならないので、病院であれこれ訴えて薬を変えたりしていました。症状を伝えて出てきた、てんかんの薬を飲んでも変化なし。違う薬に変えてもらったら今度は統合失調症の薬が出ましたが何も変わらず。しびれを切らして病院を変えたら脳波測定して貰ってから来るように言われ、明らかに門前払いされた感じでした。

ほぼ逆ギレ状態で受診した地元の大学病院で、症状を伝えたら即答で「ああ、解離ですね」と、あっさり。旦那にしか症状が出ないことを伝えると「そういう例もあります」とのこと。

地元の大学病院で聞いたのが「解離は薬が効かない」「この県には解離が扱えるカウンセラーがいない」ということ。「解離に伴う、うつや不眠の対症療法として投薬するだけ」と言われました。

 

私がメンタルの薬をやめたのは「いろいろ薬を飲んでも記憶障害が治まらず、解離性障害は根本的に薬の効かない病気だから」というのが一番大きな理由です。もうパニック障害は治まっていたし、特にひどく落ち込んだり不眠になったりすることもありませんでした。

ここで一点注意があります。

勝手な自己判断の投薬中止はとても危険ですので、医師と相談しながらまずは減薬を目指しましょう。弱~い薬でも大丈夫になったら、頓服に切替です。体調が良ければ、そのうち薬のことは忘れてしまいます。

私はパニック障害が治まってから薬の飲み忘れがとても多かったです。言うなれば「飲まなくても大丈夫だったから忘れた」わけです。旦那から「薬を飲み忘れている日の方が体調が良さそうだ」と言われたこともあり、とにかく記憶障害を解決する薬はないのか?と医者にあれこれ言いまくっていました。

ちなみに強い薬をいきなり止めると「悪性憎悪」という症状になり、肝臓や腎臓に影響が出て救急車を呼ぶ羽目になります。亡くなる方もいるそうです。

 

ただでさえ、メンタルの薬を止めるのは反動が激しいので非常に大変です。禁断症状なのか、ずっと車酔いしているみたいな吐き気とだるさが2~3週間続きます。それを乗り越えるのがとても辛く、パニック障害が一番ひどかった時以上に感情の起伏が激しくなって、ピークの1週間くらいは毎日泣き叫んでいました。

それを乗り越えた先には、もう何年も味わったことがないくらいの爽快な「健康な私」を感じることができます。こんなに自分の体は軽かったんだ!毎日なんてさわやかなんだ!健康ってスバラシー!!!そんな感じです。

その体験を通して、私はメンタルの薬を「自転車の補助輪」と例えています。自転車で自走できない時は怖いし危ないですから、思いっきり助けて貰います。でも一人で自転車に乗れるようになったら補助輪なんて邪魔くさいだけです。スピード出せないし。

 

そんな訳で。

最近は昔と比べて旦那との会話がおかしくなることも減りましたが、私の記憶障害なのか現実なのかさっぱり区別がつかない暮らしは大変面倒臭いです。記憶のフラッシュバックなのか旦那の発言なのか、よく分からないまま誰かに旦那の話をしてしまうと「モラハラ夫」と確実に受け取られます。

仕事でストレスが高まっている時は記憶障害も起きやすく、仕事でイライラ&家庭でイライラの板挟みになります。私の言っていることは私の記憶の中でしか発言されていないし、私の知らない発言を旦那から伝えられるし、私の記憶の中の旦那の発言は存在しないし、旦那の発言は私の知らない話です。もう訳がわかりません。

明らかに私の両親が原因です。モラハラ特集を見ているといつも「ああ、似たようなことが子供の頃にあったな」と思います。両親は原因を作った張本人ですが、あの人達に私を治すことはできません。言ってしまえば、両親は私におかしな思考をインプットした「腕の悪いプログラマー」です。腕が悪いのだから、修理に出しても治せません。それだけ。

旦那と私で、プロの手を借りながらここまで洗脳を解いてプログラムを修理してきたのだから、何とかなると思います。また新たな知識を持ったプロの手を借りるだけです。

 

2016年、移住計画。再始動します。