生まれた時からロスタイム

少数派の人生や、ちょっと人と違うかもしれない考え方などを紹介していきます。

他者の視点を借りて自身の姿を知ることもある

以前中学・高校が一緒だった友人と交わした会話が興味深かったので。

 

自分は犬っぽいか猫っぽいか?という話になり、人見知りしない性格の自分は犬だと思ったので「私は犬っぽいよね」と話した。

すると友人は「何言ってんの~?あんたは猫でしょ!しかも金持ちの膝の上で撫でられてるような毛の長い猫なのに野原で蝶々追いかけてる感じ!」

 

当時は「何だそれ?」と思いましたが、今はこれが他人から見た私として一番的確な表現だと思います。

 

黙ってすまして座ってればいいのに。

高級そうな毛並みが泥だらけ。

別に、気まぐれに過ごしても許されるのに。

それがまた魅力なのに。

あんたがそこにいたら不自然でしょ?

あ~あ、何やってんだか。

 

どうやらそんな感じです。

 

会社のオッサンにも「お前頭いいけどアホだな」と言われたりしました。…いや、それはアホの種類の問題か(爆)

私はそんなアホで適当な自分が好きなんですが、妬まれるネタと揚げ足を取りやすいネタを同時提供する結果になっていたようです。

 

子供の頃から勉強面で随分と妬まれていました。多分、私が一番妬まれていた時代は

小学校の頃だと思います。自己紹介にも書きましたが、非常に狭い田舎で子供が少ない環境でした。

 

他の子達と私は、何かが少し違ったようです。塾も家庭教師も通信添削も問題集もお世話になっていません。宿題もまともにやらず(え?)

宿題が出た翌朝、学校に行ってから宿題のプリントに気が付き、ちゃちゃっと仕上げて提出したりしていました。

授業はほとんど聞いておらず、授業中は教科書の全く関係ない単元のところを読んでいることが多かったです。

始業式で渡された教科書は、ゴールデンウィーク頃には読み終わりました。授業中に落書きをしていて先生に怒られるのは日常茶飯事です。忘れ物も頻発していましたが、何とかなりました。

もはや落ちこぼれの日常にしか見えないのですが、テストはできるんです。そんなにずば抜けてできるわけじゃないですが、狭い田舎の子供の中では目立ちます。

 

同級生は日々一緒に過ごしていることもあり、私が何もしなくても勉強ができることを知っているようでしたが、保護者は違いました。

同級生達の父ちゃん母ちゃんは一体私がどんな勉強をしているのか興味深々だったようです。旦那がうちの母から聞いた話だと、母はいろんな人に随分と質問されたようです。

 

「一体深雪ちゃんにどんな勉強をさせているの?」

「別に何も」

うん、正しいです。母は何もしていない。自己紹介に書いた通り、ポンキッキ任せで文字すら教えていないです。

 

大人になるまで知らなかったのですが、同級生の保護者達は何とかしてわが子に「深雪ちゃん超え」をさせたかったらしく、塾に通わせたりあれこれ比較対象にしたり何だり、随分と私を意識させていたらしいです。

 

同級生に医者の娘が一人いたのですが、彼女は露骨に私を仲間外れにしようとしていました。この子の場合もまた、彼女の母親が曲者でした。

当時、田舎の小学生で週6日の習い事をしている彼女は結構珍しい存在でした。小1の頃、彼女の母ちゃんは私を娘の勉強の「咬ませ犬」にしようとしたのか「一緒に勉強しよう」と誘われたことがありました。他の子は誘われなかったことを覚えています。

宿題以外の算数の問題集で、いくつもの数字を足したり引いたりするような式を解いたりしていました。その中で私が「4-5=-1」と平気で答えていたので、二度と誘われることはありませんでした。何と言いますか、咬ませ犬にボコボコにやり返されたようなものです(笑)

 

ちなみに、私がマイナスの計算ができた理由は天気予報です。「気温が0℃よりも低いのが-1℃、-2℃と数字が大きくなるのは何故だ?」と聞いて、0より小さいものはマイナスをつけて数字が大きいほうが温度が低い、と教わったからです。

教えて貰ったのは母だったか近所の農家のおじさんだったか、どちらかだと思います。小学校に入るか入らないかの子供にそんなこと教えてどうする?と思うかも知れませんが、私は分からないことがあるとほぼ「食ってかかる」感じで質問するし食い下がるので、大人は答えない訳にいかないんです。

 

もう一つ、大人になるまで知らなかった話ですが、小学校か中学校の時、同級生の男の子がうちの母に直訴したそうです。

「おばさん、深雪ちゃん何とかしてよ。何で勉強できるの?『深雪ちゃんに負けるな』って、お母さんがうるさいんだよ。」

「別に深雪は塾にも通ってないしそんなに勉強もしてないよ。」

「だから困るんだよ。」

…やっぱり同級生は分かっているんだな、と思いました。今となれば同級生達も大変だっただろうとわかります。

そんな同級生達の憂さが、まとめて私のところへやって来ていました。日頃の“適当”なノリをバカ呼ばわりされ、変なあだ名をつけられていました。運動があまり得意でなかったのでバスケットの試合などで負けると「お前のせいだ!」と難癖をつけられました。そんな風にして何かにつけて揚げ足を取られていました。

 

大体の人はこのあたりでいじめられていると感じ、心が折れるのかも知れませんが、私は少し違いました。

 

そもそもうちの両親が何かにつけて私の揚げ足を取り「お前が悪い」と言いがかりをつけてくる人達なので「世の中とはそういうものだ」と学んでしまいました。

 

そうなんです。うちの両親が、そもそも私を認めていないのです。特に母は「ああいえばこう言う」が果てしなく、どうしてそこまで「お前が悪い」という結論に導きたがるのか、理解不能なくらい酷いのです。

結局、私は自分の実力を妬まれることと自分自身に対するコンプレックスとがごちゃまぜとなってしまい、あり得ない程自分に自信のない人間になってしまいました。

 

金持ちの膝の上で撫でられているはずの高そうな猫が、自分は薄汚くてみすぼらしい野良猫だと洗脳されたような感じでしょうか。

人並み以上の実力を持った人間が、コンプレックスから来る「必死の自己アピール」をしている姿を想像してください。

 

うざい

自慢かよ

お腹いっぱい

もういいよ!

 

人間関係もおかしくなりますね。ずっと、妬まれて嫌われて叩かれて、とても窮屈な思いをしていました。でも妬まれるってことは実力を認められているってことですね。

ケチをつけられると認められていないように感じますが、叩かれると嫌われているように感じますが、実は違っていて、たいていは妬まれてるんですね。

嫌われてるのか妬まれてるのかわからないと、どんどん自分に自信がなくなってきます。しかも実力を発揮したり自分らしくいると、どういう訳かトラブルが発生して、嫌な思いをすることもあります。

 

以前、知り合ったばかりの人から「大きく生きましょう」と言われ、非常に戸惑ったことがあります。目立たないように自分を抑えても抑えきれず、周囲に合わせても合わせきれず、ちょっとしたことで反感を買い、叩かれてきた身としては、大きくどころか等身大に生きることすら難しくなっていました。

 

そんなある日、転機が訪れました。どういうわけかふと「修行じゃあるまいし」という言葉だけ浮かび、過去の我慢をいろいろと思い出しました。

 

これ以上小さくなるのは無理!修行じゃあるまいし、我慢する必要なんてないよねー!

 

妬みの背景が分かってきたこともあり、私が悪い訳じゃなかったんだと気が付いたことは良い変化をもたらしたと思います。これからも開き直りを心がけ、等身大に大きく生きたいと思います。

ちなみに旦那からは私の等身大サイズは「ゴジラ」と言われています(笑)

 

こちらはアメーバブログへ投稿済みの下記2件を加筆・修正したものです。

3/30「他人から見た私」

4/1「妬みの背景」